ごあいさつ

坂内食堂のWEBサイトをご訪問いただきまして、ありがとうございます。坂内食堂2代目店主の坂内章一と申します。
坂内食堂は昭和33年に喜多方のまちで創業いたしました。昭和29年の市町村合併により喜多方市役所が新しく出来るということで、その近く(現在の場所)に新居兼店舗として先代の私の両親が食堂を始め、その後地元で人気となったラーメンを中心とした店舗になりました。
喜多方のまちは商人のまちと言われ古くから多くの飲食店がありましたが、昭和後期の喜多方ラーメンブームにより、多くの飲食店がラーメンを主体としたメニューに切り替えたことで、全盛期には市内に120店舗ほどのラーメン店が存在していました。
そのような喜多方のまちで、当店は地域の皆さんに愛される飲食店を目指し、地域の皆様に育てられ支えられて今日まで営業を続けてくることができました。お客様が、東京からの夜行列車が喜多方に到着した後にラーメンを食べたいと言えば、早朝からの営業をし(今の朝ラー)、近くにあった映画館でレイトショウが終わった後にラーメンが食べたいといえば、深夜2時頃まで営業していたこともありました。お客様の声に耳を傾け、お客様に美味しいと満足していただくことを喜びにして日々精進しております。
喜多方ラーメンが日本三大ラーメンと呼ばれるようになり、地元のお客さんだけでなく遠方からのお客さんも大勢いらっしゃるようになりました。坂内食堂は初心を忘れずに一杯のラーメンに情熱を注ぎ、丁寧に作ってお客様にご提供するということを大切に、喜多方ラーメンというご当地ラーメンを守っていきたいと思います。
地元の皆さんはもちろんのこと、遠方に住んでいる皆さまも喜多方の地へ足を運んでいただきまして、本場の喜多方ラーメンを味わっていただきたいと願っております。
令和7年4月1日 WEBサイトの公開に向けて
坂内食堂 2代目店主 坂内章一
坂内食堂の歴史

坂内食堂は昭和33年5月に、初代の店主である坂内新吾とその妻ヒサが昭和の大合併によって新たに建築された喜多方市役所のそば(現在の場所)で創業しました。新吾36歳、ヒサ26歳で結婚間もない夫婦が住居兼店舗という形で営業を始めましたが、当時は「喜多方ラーメン」という呼称は存在せず、全国的にも殆ど知られていませんでした。坂内食堂も他の喜多方の飲食店同様に、定食や丼ものと一緒に「支那そば」を提供していました。
「支那そば」というのは、昭和初期の頃に中国人の青年が喜多方のまちに移り住み、中華麺を屋台で売り歩いた事が喜多方ラーメンの発祥とされており、中国由来の麺であることから「支那そば」という呼び名が使われたそうです。その中国の青年は後に喜多方ラーメンの発祥のお店である源来軒を開業し、喜多方市内で食堂を営む方々に惜しみなく技術を公開していった結果、喜多方市内に多くのラーメン店が生まれていきました。坂内食堂では現在もレギュラーのラーメンを「支那そば」という名前でご提供させていただいています。

坂内食堂が開業した頃は支那そば1杯40円という時代で、お客さまは地元のお客さまだけという時代です。営業時間も「朝ラー」という文化がない時代だったので、朝10時開店でした。その後、昭和50年夏にNHKの当時の人気番組である日本紀行で「蔵ずまいの町 福島県・喜多方市」と喜多方市が紹介されたことから喜多方市に観光客が蔵のまち観光ということで訪れるようになりました。
蔵のまちとして喜多方が知られ、蔵のまち観光で訪れた観光客の方がお昼に喜多方ラーメンを食べ、徐々に観光で喜多方を訪れる人が増えていくことになり「喜多方ラーメン」という名前が世間に知られていくことになります。「喜多方ラーメン」という名前が全国に知られるようになったひとつの要因として、坂内食堂のパートナー会社である(株)麺食さまが喜多方ラーメン坂内として全国にFC展開したことがあげられます。現在では、海外にも喜多方ラーメン坂内が進出しています。喜多方ラーメンを全国区に拡げることに尽力されている(株)麺食さまに感謝いたします。
近年はご当地ラーメンブームで多くの地域が人気となっていますが、元祖ご当地ラーメンのひとつである喜多方のまちへおいでいただきまして、蔵のまちを散策していただき、お昼にはラーメンを味わっていただきたいと思います。 現在の坂内食堂は、2代目店主が営業しておりますが、店内には3代目店主候補が元気に頑張っていますのでご来店の際はぜひお声がけください。
坂内食堂のこだわり
当店のこだわりというと大げさな感じになりますが、常々心がけていることが3つあります。
その3つとは、
- お客様の満足度
- 地域への貢献
- スタッフの成長
の3つです。

1つめのお客様の満足度は、先代創業者からの変わらぬ思いです。美味しい食事をおなか一杯お客様に食べていただきたい。創業当初から変わらず、坂内食堂として一番大切にしている「想い」です。坂内食堂がオープンした昭和30年代というのは、戦後間もないまだ日本が豊かではなかった時代です。
支那そば1杯35円という値段でスタートした当店ですが、その当時は映画の鑑賞券が大人ひとり100円、喫茶店での珈琲1杯が50円という時代でした。食事の値段としては決して高額ではありませんが、お客様に満足いただけるよう麺の量は170g、チャーシューも多めでおなか一杯になっていただこうと工夫をしていました。この思いは今も引き継がれており、当店のレギュラーメニューである支那そばには4枚のチャーシュー、当店の代名詞ともなっている肉そばは、食べた方はご存じのことかと思いますが、チャーシューで麺が見えない状況でご提供させていただいています。
2つめの地域への貢献は、昭和後期に訪れた喜多方ラーメンブームに対する感謝の気持ちです。もともと喜多方市内には多くのラーメン店があり、地元のお客さまはお住まいの地域にある小さな店舗から出前を取って食べるという風習があり、当店もその中の1店舗に過ぎませんでした。地域の人に愛される店舗を目指し、地域の皆さまに育てられ、そして喜多方ラーメンブームによって全国各地から喜多方ラーメンを食べにこの街を訪れるようになったのも、地域の皆さまに育てていただいたからこそだと考 えています。多くの観光客の方々に来ていただける「喜多方ラーメン」というブランドを後世まで引き継ぐため努力を惜しまず地域に貢献していきたいと考えています。
3つめのスタッフの成長は、上記の2つを実現するためのスタッフの育成です。1杯のラーメンを丁寧につくり、お客さまに美味しいラーメンを提供することはもちろんのこと、お客様が心地よく食事できるような店舗の維持、時代の変化に伴うサービスの変化に柔軟に対応できるようスタッフ一丸となって日々成長することを大きな目標としています。
ご来店いただきました際に、不都合なことや気になる点がございましたら、遠慮なくスタッフにお申し付けいただけましたら幸いです。